anticapの日記

とある氷河期世代の海外就職、国際結婚、政治観

愛なき世界

随分久々の更新になってしまいました。

育児&労働でなかなか厳しい状態ですが、なんとか2018年を健康に迎える事ができました。

 

2018年の初っぱななブログからサイケデリックな感じの話題になってしまいますが、僕が嫁の関係でなんちゃってカトリックなので、クリスマスという宗教イベントに参加して、改めて宗教とその背景の歴史について考えてみたのですが、星の数程ありそうな宗教は色々な点で共通点が多く、元々はひとつの宗教で政治的な利用と解釈の仕方でこれ程までに派生したのではと僕は考えています。

 

はっきり言ってカトリックも僕からみるとかなり個人によって都合よく解釈されていると感じますし、多くは精神的な安定を求め自分に優位な解釈をしがちな傾向があります。人類の多くは元来そういうものなので、僕は僕なりに自分の中で色々な宗教を噛み砕いて考えています。なので僕自身では無宗教に近いものがあります。

 

宗教について考えてた時、トランプのイスラエルエルサレム首都認定発言がありました。僕は世界的に非常に高いレベルにあるユダヤ人がなぜそこまでエルサレム、そして宗教に拘るのか疑問に感じていました。そして僕なりに彼らの歴史と思想について調べてみました。

 

僕は個人的にユダヤ人という人達になんの偏見ありません。というか昔ご近所に一人いたのと姉のホームステイ先がユダヤ人だった位で実際に深い付き合いをするチャンスはありませんでした。しっているのは彼らの宗教はユダヤ教で、長年強いたげられていたことと、それによって知識を財産としノーベル賞の割合は世界で最多、科学のみならす、現在の株式市場や貿易、紙幣も彼らの発明と言うこと。

 

はっきり言って凄い人達だな位な考えで、何でそんな人達がたかだか宗教なぞに縛られるのかと考えたわけです。すると色々な考えが僕の中で湧いてきました。ドイツ系ユダヤに多いシオニストは(ユダヤの中にもさらに色々な名称があるそうで、昔はそれにより階級もあったそうです)もしかしたらエルサレムには猿を人類に押し上げた英知があるのを知っているのではとか下らない事も考えました。

 

ここからは僕の勝手な解釈です。

紙幣を作り現状の主要な原理を作りだした彼らが、恐れているのは他宗教による弾圧。彼らはマイノリティであり、どんな賢くともまともにぶつかれば数による暴力にはかないません。だからこそ彼らは自分の宗教を知識の共有の手段とし、またコミュニティ形成の手段としても大事にしているのではと。そして同時にその迫害の歴史から他の人類が宗教によって統べられるのを恐れ、それらの信仰心、結束を弱いものにしようと考えるのでは…

 

つまりは胴元になることができた金融手段をつかって他宗教を骨ねきにすると言うこと…

 

そもそも紙幣というのは元々資産を奪われ続けてきた彼らの対抗策の一つで、無価値な紙に彼らの中だけで価値をつけたもので、他の人達にとっては単なる無価値な紙に過ぎないので奪われる心配もないというものでした。

 

つまり紙幣の開発者である彼らは紙幣が単なる紙と言うことを歴史において根本から理解していて本当に価値のあるものを理解しているということ。そしてその紙にいかにして価値をつけそれを上手く利用する事で、迫害から逃れるだけでなく、自分達に優位な体制に持ってくかということです。

 

紙に必要以上の力を持たせたかのように見せれば、多くは宗教<紙幣となっていき、彼らの神に変わってその紙幣にひれ伏すようになるはずです。頭でわかっていてもこの流れには中々逆らえないはずです。逆らえば様々なものを奪うのですからね。これで僕が前から言っているお金教信者の完成です。

 

ここで、一番厄介な連中は宗教<紙になってくれない連中ですね。具体的にはしきたりが厳しく信仰心の強いイスラム等です。だからイスラムと対立する要因の一つのかななんて考えてます。

 

最近流行りの仮想通貨なんかも紙幣にており、内容によっては彼らにとっては邪魔なものかもしれませんね。国の縛りを越えて通貨が産み出されてしまうのですから。もしかしたらこれも彼らの新たな戦略かもしれませんが…

 

結論として今回の件で何がいいたいかと言うと、別にユダヤ人を批判する訳ではなく本当に価値のあるものを理解して生きるということです。世間には色々なまやかしが増えすぎて本当に価値があるものを見いだすのが難しくなっているように感じます。

 

特に近年日本に住んでいてどんどん愛<紙幣となっているなと感じる事です。個人主義と言われる国は以外とコミュニティを大事にしてることが多いですが、未だに集団主義傾向の強い日本ではこれだと孤立しやすい状況を作りやすくしてしまっている気がします。手遅れになってしまいましたが、少子高齢化なども根本にはそういう背景があると僕は感じています。

 

自分にとって本当に価値のあるものは何なのかということを理解した上で、流されずに生きるのが正しい生き方なのかもしれませんね。