anticapの日記

とある氷河期世代の海外就職、国際結婚、政治観

アベノミクスの失敗と資本主義の限界。~新たなシステムの幕開け~

こないだNHKでパナマ文書問題についての報道がありました。予測どおり対岸の火事として放送しておりましたか、まずは第一歩というところでしょうか。しかしながら世界の流れに比べて日本は国民が諦めているのか、報道が一部の層をきづかって隠蔽体質なのか、騒ぎなるどころか下火になりつつあります。

さて今日はアベノミクスの失敗と資本主義の限界について。

資本主義の限界については過去の記事でかきましたが、現自民党政権によるアベノミクスについては世間や報道がどういう評価であれ私的には失敗と断言します。最大のげんいんとしては小泉政権と同じで官僚と政治のしがらみから脱却できなかった事です。

小泉政権下では、そういったしがらみの構造改革をスローガンに、国民の痛みを伴う事の了承を得ようしていました。低迷中である景気状況の中、痛みというリスクを被りたくない企業、年齢層は就職枠を絞り、経団連を通じて派遣法改正差せることで調整を図ることにしました。その結果多くの部分の痛みを若い層に押し付ける形になりました。
そして、肝心の構造改革は達成できないままでした。

結果的に痛みを押し付けられた若い層は就職氷河期やロストジェネレーションと言われ、労働環境、賃金ともに厳しい状況に身をおかなければならなくなりました。これにより少子高齢化は加速され、彼らの置かれた立場の足元を見るようにブラック企業などといった企業が増えていきました。この頃から引きこもりやニートという言葉が盛んに使われるようになり、政府はその状況を自己責任の一言で片付けました。

一方安倍政権では前の政権の民主党脱官僚、円高路線だったのを円安、官僚路線に切り替え、強気の外交姿勢とトリクルダウンをスローガンに高い指示を得ていきました。円を刷る事に関しては僕も民主党時代に前のブログにて推奨していましたが、当時はもう少しメリットがあるものだと考えていました。

円安にして株高にしたまでは良かったのですが、増税とそこで得た税収を社会補償にあてずせっかく民主党が下げていた公務員、議員の給与に当てたため、大多数である庶民の消費が激減し、いまにいたることになりました。

民主党当時は円を刷る事を推奨していた僕ですが、円を刷ると言うことは自ら自分達の価値を下げる事にも繋がりかねないと認識しました。そうすることによって成り立っている国が中国ですし、彼らの政策をみていると得策とはいえません。

安易にお金を刷るということは、それだけ自分達自身の価値を下げる事にもなりかねません。アベノミクス中のGDPをドルベースでみた場合明らかに数字が悪くなるように、長期的にみて果たして円安がよいのかということは何とも言いがたいことがあります。

本来であれば円高の状況でも、ヨーロッパなどのように付加価値をつけた製品を売れるようになればよいのですが、日本は人口的にもどうしても量産品をつくりたがるので、技術的に過去のように差がなくなったいま似た製造ラインを得意とする中国、韓国といったライバル企業と熾烈な価格競走をしなければならないため前以上に為替の影響が経済に重要な影響をもたらすようになりました。近年の円安株高をみればそれは明らかです。

アベノミクスの失敗の原因とはつまり、過度な搾取と社会補償の悪さでしょう。つまり、消費税を増やした分を社会補償に使われず、数字としては公務員、議員の報酬額の増加にあてられたため、それ以外の多くの購買意欲をそぎ、内需が低迷したことであると僕は考えています。

増税の前にキチッとした構造改革をし、収支バランスを見直すなどしていればアベノミクスは成功していたかもしれませんが、このままの路線であればトリクルダウンなど起こるはずもなく、結局は株高で一部の階級に儲けさせただけで終わりです。

安倍政権だけの問題ではなく、今の日本が苦しいのはやはり歪な社会構造を作った小泉、竹中政権のせいでもあると思います。当時若手を育てなかったツケは、技術的な成長、センスの劣化に繋がり時代にあったアイディアのある商品がでず、世界からガラパゴスと呼ばれ結果他国のライバル企業にやられてしまいました。付加価値もだせず、ただ価格以外で勝負が出来ない国は先進国といえるのでしょうか?

もうやり直しは聞かないかも知れませんが、もう一度日本社会は自国の将来について逃避できないな考えではなく真剣に考えなくてはいけないと思います。果たして日本の未来は明るいなんていえる人はどれくらいいるのでしょう?

衰退していった他国の歴史のように日本は一部の階級の力が強くなりすぎている気がします。