anticapの日記

とある氷河期世代の海外就職、国際結婚、政治観

小さな幸せ。大きな幸せ。

今回はパナマ文書から一旦離れて資本主義の弊害について。

僕は資本主義に対して10代から疑問をもっており、肯定的には捉えてはいませんが現在の日本がそれなりの生活水準を保てているのはこの資本主義をはやく取り入れた事による一面が強いため否定できない立場にあります。

僕は10代前半頃は学歴社会全盛で人口比も今と違って多かったため、競争率が高く受験戦争と言われるくらい倍率は大変な状態でした。幸い特定の分野に関して僕は興味を持っていたため、それによってなんとか中堅どころを保っていましたが、正直勉強をする意味はわかっていませんでした。英語などは今でこそ自分のスキルの一部となっていますが、当時は日本の英語の勉強法に全く合わず、他国の言語を勉強しなければならないことに不満すらありました。

そんなアクセクした状況の中、僕は将来の進路を決めなくてはならなくなり漠然と進学は決めていたものの、この国でどんな仕事をしようか考えなくてはいかなくなり、ふと日本について考えました。

当時は既にバブルは弾けたものの、日本の発展は凄まじく、下町だった地元の風景も戸建てだった場所がどんどんマンションに変わっていき、ショッピングモール建設されるなど色々変わっていきました。そしてバブルが弾けた影響からか町工場や個人経営の小売店はどんどん減っていき変わりにコンビニやチェーン店が増えていきました。友人の父親は日本の伝統工芸品の職人さんでしたが、店を閉め、某大手チェーン店の配送の仕事に転職していました。

そんな移り行く時代の流れをみて、様々なものを犠牲にしながら世界有数と言われるまでに成長を遂げたけいた経済大国日本から経済を抜いた時、日本はいったい何が残るのかなと、十代だった僕は想像しながらなんとなく不安な気持ちになっていました。

とはいえ当時の日本はバブルは崩壊していたものの、現在のような落胆ムードではなく、国民の士気もそこまで低くはありませんでした。大きな夢を見る若者もまだ多かったと思います。

時は流れて現在ですが、残念ながら日本経済は成長せず、寧ろ人口の減少と共に縮小を続けていきそうな気配です。
周りを見れば大手チェーンやモール、マンションばかりで、どこにいってもあまり特色のない風景になりつつあります。残されたもの老朽化した公共施設、少子高齢化で割合の膨らんだ高齢層、借金、公害、格差、そして近年明らかになりつつある汚職と隠蔽体質という負の遺産ばかりが目立っている気がします。残念ながら昔ぼんやりと思っていた不安は的中してしまったように思えます。

10代の頃よりは確実に人生経験は増えた今、僕が思うのは海外で体験した小さな幸せを噛み締められる環境が僕には一番あっているという事です。個人経営の精肉店や鮮魚店など、毎日の生活で必然的に顔を合わせる人達と仲良くなって、小さいながらも中心街へでればどこかに必ず友人がいて、家に帰れば家族が待っていて、不正があれば戦って、不便ながらも色々工夫して、時間がゆったり流れている、そんな環境が一番自分には肌に合うと気づきました。

残念ながら世界の流れは僕にとって居心地の良い世界を消滅させつつありますが、それぞれが一体何が本当に大事な事で、何が無駄な事なのかを考えられる社会になる事を期待しております。